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updated 2014-06-30

バウスシアターには行った事がありませんがTokyo MXの5時に夢中で知りました。海外生活が長く昔ながらの映画館によく通っていたので日本でもぜひ守る活動をして欲しいです。そして、是非映画を観に行きたいです。

相田清葉

大晦日にバウスシアターでヨーロッパ映画を見て、そのままジャズバー・サムタイムに移りライブを見ながら年越しをしたことがあります。こういう他では味わえない文化的な楽しみ方ができるのが吉祥寺という街の魅力だったはず。最近は吉祥寺に行くたびに他の街と同じようなツマラない街に変わってきているなと感じています。地方のショッピングモールと同じような量産型の楽しみしかできない街になってしまったら本末転倒だと思うので善処していただきたいです。

浅井隆晃

三鷹市在住です。中学生の頃から通い、心のよりどころと言える場所でした。最近の吉祥寺は観光の人が多すぎて、もうおじいちゃんと一緒に散歩に行けるような街じゃありません。できる限り自分も協力しますので、市からバウスシアターへの助成をお願いいたします。

飯田朔

バウスシアターでこれまでに、どれだけの楽しい映画を観てきたことだろう。芝居も見た。ライブも見た。間違いなく吉祥寺の個性と魅力を作ってきた場所だ。あの素敵な場所がなくなってしまうなんて、信じられない。武蔵野市が街の地盤沈下を防ぎ底上げを図るのなら、絶対に手放してはいけない場所だと思う。

石川潤(漫画家)

映画館なんて時代遅れかもしれない。ビデオで十分だ。そういう声があるのもわかる。
でも映画館は映像を見るだけじゃない。
ライブな映像共有が出来る場所であり、1800円というお金をお客様から頂いて映像を見せる真剣勝負の場所であり、スポンサーや時の権力者の偏った価値判断に頼らない映像表現ができる可能性があるんだ。
そんな真剣勝負な場所を、映像に携わる人間として無くしてほしくない。
バウスシアターはどこにもましてライブ感にこだわってきた小屋。
みんなも署名よろしくお願いします!!

石川学

作り手と受け手の間に立ち、きちんと橋渡しをしてくれる人と場所があってはじめて文化は生まれるのだと思います。街には画一的なものが増え、そういう場所が少なくなったのではないでしょうか。吉祥寺がこれからも何かが生まれる街であるためにも、是非バウスが存続出来るようお願いします!

磯﨑憲子

私は、今から20年以上前の吉祥寺で20代の時間を過ごし、バウスシアターで幾つもの映画と出会えたことを、とても幸せな体験だと思っています。映画は、バウスシアターや、もう無くなってしまった三鷹オスカーのような、送り手の温もりや心意気が感じられる映画館で出会ってこそ、心の底に残り、人生の糧となるのではないか……と思うのです。無くなってしまった三鷹オスカーは、もう戻りません。でも、バウスシアターはまだ、そこに存在しています。吉祥寺の文化を支えてきた、大切な場所です。どうか、無くさないで下さい。次の世代の若い人たちが、スクリーンで映画と対峙し、反芻しながら人生の糧とする、大切な場所です。

井出真理(脚本家)

住みたい街No.1のこの場所には到底住めない自分にとって、吉祥寺に来る目的=バウスシアターでしか観られない映画を観に来ること、なのです。

上馬場健弘(自主映画作家・俳優)

失恋した時に一人でひなぎくを見たバウス、何時いってもいごこちよくくるんでくれる映画館でした。もっと沢山の人に足を運んでもらうべき所です。なくさないで

植松智子

吉祥寺は、母方の実家のあるまちです。半世紀、その推移をみていますが、こうした地域のグラスルーツの文化活動を支援する制度、まちづくりとその継承については、必要だと思います。ファンドで支えるのが、一番適切だと思いますが、お寺さん、市役所、税務署などのご理解とご支援も、とりつけたいところですね。

宇野求(東京理科大学教授)

少子高齢化が進んでいくこれからの時代、余暇が増える世代に向けて、なによりも私たち若者に向けて文化的な生活を送るうえで映画は欠かすことのできないものです。特にシネコンではかからない映画、かかっても非常に短期間のキャンペーン上映だけの映画を上映する地域の映画館の存在意義はとても大きいものだと考えます。学生の集まる街、多くの世代が集まる街吉祥寺に大人の文化を教える映画館、バウスシアターがあり続けることを願っています。

江澤雄志

高尚でアカデミックで上品で難解な芸術的映画「だけ」ではなく、様々な映画好きが好む様々な映画を上映してくれる、そんな映画館は貴重なんですよ。そしてそういう映画館が吉祥寺という街にあること。それが大事。
例えばね、タランティーノ監督の「ジャンゴ 繋がれざる者」を観たとしますよ。マカロニウェスタンリスペクトの西部劇です。気分はすっかりガンマンになって劇場を後にし、モデルガンでも買おうかと思うとね、あるんですよ吉祥寺にはモデルガンショップが。ガンマンのベルトも手に入ります。こんな街他にありませんよ。
つながりが分かりやすい例を挙げましたが、映画を観せるだけの映画館ではなく、街と人をつないでくれる場でもあります。
再生、応援します。

蛯名政之

文化が死んだ街がどうなるか。一度足が離れた後、そこに人を戻すことがどれほど難しいことか。
商業としての活性はよその土地でもできるけど、培ってきた文化はその場所でしか根付きません。
そこに魅力を感じる人々がまだまだこんなにいることをどうか汲み取ってください。
よろしくお願いします。

大岡旨成

ミニシアター、単館映画館、名画座で映画を観るのが大好きです。
ミニシアター応援ブログ、浜松のミニシアターシネマイーラの会報に連載もしています。
バウスシアターも爆音映画祭も気になっていましたが、地方に住んでいたため来れませんでした。
偶然ですが3月末に川崎に引っ越して、やっと来ることができ、
爆音上映も体験して感動しました。
素敵な雰囲気の映画館で、
これで終わりだなんて淋しいです。
ぜひ存続して欲しいです!

大竹由希子

映画館の存在がまちおこしの鍵になるというケースは全国各地で見られます。文化施設は街の財産です。ましてやバウスシアターは個性的な興行によって、吉祥寺の知名度をあげる上で一役買ってきたと言っても過言ではないでしょう。単なる商業地ではないところに吉祥寺の今日の隆盛があります。私は隣の西東京市の住民ですが、吉祥寺がファスト風土化すれば、北多摩地区全体が地盤沈下するものと危機を抱いています。是非ともバウスシアターを再生できるよう、市にご協力願いたいです。

大西寿子

吉祥寺という街が、東京の中でも特別な文化性や個性を持っているのは、他の地域とは異なる「場所」が存在しているからだと考えています。もちろん、「場所」と呼ばれるところは、映画館でも本屋でもレコード屋でも図書館でもなんでもいいんですが、本当の意味で「オリジナル」な個性を持っている「場所」はごくわずかだと感じています。バウスシアターは間違いなく「オリジナル」な価値を持つ場所であり、マスの視点では認められない程度かもしれませんが、ここが再生されることにより、確実に5年後、10年後に大きな影響を与えると思います。

小田晶房

バウスは世界への窓だった。月への窓ではないにしても。観客は、わたしたちは、この劇場のスクリーンから世界の拡がりを感じていた。世界を聞いていた。密やかな轟音として、世界の音を聞いていた。そして今度は、世界の側がバウスからの呼びかけに答える番だ。だから、今その窓を閉ざす愚を犯してはならない。それは、ものの道理に反した振る舞いだ。

大寺眞輔(映画批評家)

個性ある映画館が町にあるという事は美術館やギャラリーがある事と同様にその町の魅力が、どれだけ豊かになることだろうか。特にバウスシアターのような映画館は日本の映画界の聖地のようなところ…。なくしてはならない。

角章

他の市町村の映画館では出来ない独自企画を実現してきたバウスのおかげで、他の市町村や県から吉祥寺に訪れる者も多かったと思う。私もその一人だ。

岸野雄一(スタディスト・音楽家)

バウスシアターにふらりと自転車で行って、ロードショー館とは違うあれやこれを観て、夜空を眺めながらまたさらりと帰る、そんなひとりの時間が、通算25年ほど過ごした大好きな街、吉祥寺の吉祥寺らしい時間でした。

郷原佳以

スタッフとして爆音関係のイベントで伺ったのが初めてで「こんなに映画に情熱を持ち、かつオモシロイハコは無いな!」と感激したことを憶えております。どうか、これからも吉祥寺の象徴であって欲しい。

後藤清子

吉祥寺という街が魅力的なのは、多用な文化の発信基地である、という顔ゆえです。バウスのような映画館がある、ということも、そんな街の顔を彩る大切な要素です。そういうものが失われていくに任せていては、魅力的な街の顔が、遠からずほかと何も変わらないのっぺらぼうになってしまうでしょう。のっぺらぼうな街にどうして魅力と活力が宿るでしょうか。

小林弘利

マイノリティな文化が十数年後に日本のカルチャーとなることは、大にして見られて参りました。バウスシアターの存続は、それらに寄与し、新たな文化の創出と、産業の育成、地域の活性化に役立つものと考えます。

西念武志

バウスシアターの存在・存続は吉祥寺そして東京、日本が世界に誇る文化資産です。まちづくりは文化発信と創造なくしては発展はないと信じています。

さらだたまこ(日本放送作家協会理事長)

春風亭柳昇一門会を、長年こちらで開いてもらってたんですよ。
ありがとうございました。
バウスシアターなくして、
春風亭一門や
落語の発展はありえませんでした!?

春風亭愛橋(落語家)

バウスシアターができてすぐの頃、学生時代に2年ほど吉祥寺に下宿していましたが、その間何度もバウスシアターに足を運び、様々な映画を知る機会を得ました。地域の中で、高い芸術性を持つ作品の紹介をしつつ、吉祥寺という町の持つ特別な雰囲気に寄与している存在だと思います。ぜひ、存続して欲しいです。

白石玲子

「地主の月窓寺と共同で特殊なイベント葬儀会場としても使用するのは。音楽葬とか映画葬とか。生前葬とか。遺影のみので線香NGで」
いいですね! 私の知人は田舎のお寺さんの御嬢さんで、東京で音楽を勉強していたのですが、毎夏、帰省する度に音大の友人達を連れて帰ったのです。
そして、実家のお寺に村の人達を集めて、友人達に出演してもらってコンサートを開く。友人達には、出演料も払わない代わり、会場費も取らないし、実家のお寺にタダで寝泊まりさせ、食事も出す。聴きにくる村人たちからもチケット代も取らない。
それを毎夏、村の人達が楽しみにしていてくれたそうです。
若い人の仏教離れが進み、「葬式仏教を脱して若い人達に寄り添う仏教を目指さなければ」と様々な試みをする若い僧侶達が増えている昨今。
せっかくバウスシアターが積み上げてきたものがあるのですから、月窓寺さん側の方でも、それをうまく利用すべきなのではないでしょうか? うまくすれば、檀那が増えるきっかけになるかもしれませんよ。
私の知人には、浮浪者などにも積極的に門戸を開き、相談に乗っているキリスト教会の牧師もいます。
宗教というのは、宗派を問わず、元来は人生に悩める人が救いを求めて祈る場であるはずなのに、日本では、新年や子供の誕生、七五三は宮参り、結婚式は神前式かキリスト教式、葬式はお寺で、その実、悩んでも相談に行ける場所がどこにもない。
特に一番不安定な思春期に、さまざまな模索に対して自分で自分なりの答を出すのに、一見無駄なように見えて、文化はやはり必要です。
バウスシアターはそういう場の一つです。月窓寺が真に地域のための宗教団体であろうとするのなら、そういう場を取り上げるのは間違っているのではありませんか?

薗愛凛花

バウスシアターは単なる映画館ではない。ここでしか見られない映画の数々を見るために、関東近県どころか、日本中から、熱狂的なシネフィルが集まってくる場所だ。大学の芸術学科の恩師が、大阪から見にきていて、再会したり、滅多に会えない遠方に住む映画仲間とも、ここでなら会えた。失えば再生不可能な文化の発信基地だ。バウスシアターがなくなるなら、吉祥寺に通うことはもうないだろう。

園田恵子

良質なエンタテイメントを提案・発信できる感性を持った者は、実は少ない。
現在の吉祥寺界隈で「その街らしい特色」を持った店舗は、残念ながら年々数を減らし「ありきたり」なチェーン店ばかりになりつつある。
バウスシアターは吉祥寺発の文化を発信できるポテンシャルを十二分に持っている と、同じエリアに住む者としても声を大にして言いたいです。

高井賢

愛される場所、愛する場所がひとつでもあるだけで街は滅びずにすみます。

嶽本野ばら(作家)

いったん破壊されてしまった文化は取り返しがつきません。バウスシアターのような映画館は単なる箱ではなく、文化そのものだということを考えるべきです。

高橋ヨシキ(デザイナー・ライター)

吉祥寺の現状は「住みたい街NO.1」という言葉の表層だけを掬い上げて塗り固められているただただつまらない街であり、その中で希少なギラギラとした輝きをもつバウスが無くなってしまうと聞いたときには「ああ、もう吉祥寺はおわりなんだ」と感じました。どこにでもあるものを消費する街でなく、ここにしかない魅力的な物を提案する街に戻るためにもバウスの存在は不可欠です。

田村昌子

新しいものがあり、旧いものがあり、そして文化がある。吉祥寺にはライヴハウスやホールがある。しかし東京屈指の、日本でも有数の良質なプログラムを発信してきた名画座が消えようとしている。このままでは吉祥寺は平板な普通の街になってしまうだろう。吉祥寺が三軒茶屋と並ぶ人気の街である理由はすぐれた沢山の文化発信商業施設があるからだ。coppice KICHIJOJIやアトレ吉祥寺はすぐに他の街が真似をするだろう。しかしバスウシアターは他の街には真似することができない。この灯を消して良いのだろうか?

辻豊史

吉祥寺の大切な文化
個人的には入口のクレープ屋さんがなくなるのもさみしい

土屋典子

バウスというスクリーンの系譜には、その時代を表象するアヴァンギャルディスムを感じさせられる。体制化されてしまった「文化」の一歩手前を歩く芸術の場所であり、バウスはその支援者であり続けてきた。それは、体制という巨大な鍵括弧のついた『良識』をもった人たちからは、ときに差別と偏見を受ける性質のものだったかも知れない。
しかし、芸術すなわちavant gardeというのは、そういう試行錯誤の積み重ねによって形づくられるものだ。そうしたオトナたちからは「無謀」で「常識はずれ」のようなことを行ってしまってきたことに、バウスシアターがバウスシアターである由縁がある。バウスシアターが後世のクリエイターと観客だけではなく、あらゆる市民のために残されなければならない充分な理由がある。
爆音のような「試み」を受け入れ、配給会社が作品に本音を云うことから商業的宣伝の邪魔になるといって系列映画館から締め出した井筒和幸監督の喋るテレビ番組の取材を受け入れ、遠くまで足を伸ばさなくてはいけないようなニッチな作品をおそらく赤字覚悟で上映する。こうして示されてきた「行動」を子どもに対して語りかければ、そのまま、失敗や周囲の排斥を恐れて「個」を出すことができないといわれる現代の子どもたちへの説諭にもできるかも知れない。
そうした「個」の「多様性」こそが後世に残されるべきものであり、吉祥寺が渋谷や新宿や立川とは違った街である由縁であり、バウスは、また、そのシンボリックな役割を果たしているとも云えるだろう。
吉祥寺という街では、百貨店が退店した後、家電量販店が進出しようとしたときに地元を中心に大反対運動が起こったと聞く。アキハバラのような街にはしたくないとモメたと耳にしている。アキハバラに映画館はない。本当の芸術と文化を発信できる場所であるからこそ、その周りに、然るべき人が集り、流れができ、その人たちにあわせて街が形成されていくのだ。
吉祥寺を文化と芸術の街として据え置きたいのであれば、いまこそ、バウスに手を差し述べなければ嘘であろう。魅力ある街には、魅力あるスクリーンがなければならないだろう。魅力あるスクリーンには、魅力ある人が集り、魅力ある街に発展していくのだ。バウスの閉鎖問題はバウスだけの問題ではない。人々が吉祥寺を素通りし、渋谷や新宿のミニシアターへ足をのばすようになれば、かつて大反対を受けたと噂されるような文化的ではないものが、吉祥寺に集ることになるだろう。それは街の変化であって衰亡ではない。だが、間違いなく、東京西部で、ほぼ唯一の芸術文化を発信し続けたシンボリックなスクリーンであるバウスが消滅すれば、東京の西半分には、多角的グローバル性をもった、助成による行政施策の場所ではない、商業にベースをもった芸術文化の発信源が消滅することに等しいと云えるはずだ。
この火を、この魂を消してはならない。寛容さと未来志向をもって、英断を望みたい。私たちの次の世代が、多様性と個の両立した芸術と文化を、あるいは、何でもやってみようというチャレンジ精神に触れ、映画という教養を、この吉祥寺という街で得、育っていくことができるように。
そして、映画という感動を次の世代につなぐことができるように。

内藤豊裕(学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻中条省平ゼミ所属)

劇場を探しています、バウスシアターも検討しましたが、補償金と月々の地代(賃料)が高いため断念しました。

中澤直栄

日本で唯一、いやもしかしたら世界で一番と言える、新しい発見を提供してくれる劇場です。ここがなくなるのは、日本の文化、世界の文明の大いなる喪失。悲し過ぎて、もう吉祥寺には行きません…。

中原昌也(作家・ミュージシャン)

どこも同じような顔の町ばかりになり、〇〇らしい町並みというものが消えていくことに危機感を感じます。それはなにより精神とか魂を失うことから始まるのではないでしょうか。たぶん映画館というのは街の魂なのです。どうでもいいようなことに見えて、失ったら二度と取り戻せないことがあります。

中村佳子

87年の町田町蔵バンド、94年のWRU(東京ニュージャズフェス)で出演させていただきました。先日も山本精一さんのライブを見て感じましたが、あんな爆音の演奏をゆったり座席に座って聴ける会場は他にありません。唯一無二の存在。是非存続していただきたいです。

西村雄介

新しく生まれ変わって新たな歴史を作れたら素敵だなと思います。映画館としてだけでなくLIVEやイベントにも使えるスペースなるといいなあ。

芳賀紀子

ここでしか味わえないものを体感するために、大阪からバウスシアターに行きます。劇場に足を運ぶというのは、単に映画を観に行くというだけではなく、その街の空気、小屋独自のにおい、集まってくる人たちの共犯めいたひそやかな熱、それらすべてをひっくるめて体感する、ということなんです。
どの駅に降りても、同じような大型ショップにチェーン店、ファッションビルが当たり前のように続々と並びはじめ、街の個性が摘み取られた、一様な顔をした街ばかりが増殖してきています。「サブカルチャーな街」と言われる吉祥寺だからこそ、他の街とは違う、他の街にはない文化を、もっと大切に育てていってほしいのです。各自治体で町おこしということが重要視されてきている昨今、サブカル吉祥寺のシンボルのひとつであるバウスシアターをなくして、吉祥寺独自の空気をまた薄めてしまうなんて、時代に逆行していませんか?
バウスでこれからも爆音を体感したいです!!
どうぞご検討よろしくお願いいたします。

橋本鏡子

日本は相続税でどんどん街が変わっていきます。街の文化に公的な投資をし続けないと、吉祥寺であってもすぐにどこにでもある街になりかねないです。

藤原徹平(横浜国立大学大学院Y-GSA准教授)

吉祥寺(東京ぜんぶだが)をチェーン店だらけのノッペラボウな街にしてはイケナイ! 自発的に文化不毛の地になろうとしてはイケナイ! 若いころはちょっと遠いけど、ホントによくバウスに通った…。

牧原陽子

グローバリゼーション幻想による街の画一化、それに伴う地域の価値喪失は至るところで起きています。映画館という場においてもその傾向は顕著です。日本有数のブランド映画館であるバウスシアターの消失は、ただノスタルジックな哀しみだけでなく、映画館の多様性の喪失であり、吉祥寺という街の経済的価値喪失につながると、強く危惧します。

松宏彰

違う形で再生しないと駄目です。こういう映画館は非常に大事です。

八木剛司

吉祥寺からバウスがなくなってしまう…未だ、実感が湧きません。
映画や娯楽産業は「衣食住」とは違って、生きて行くのに必要はないとみなされがちですが、こと、夢を見ないと生きて行けない人種の人々は思いのほか沢山います。私もその一人です。
人種…というと、まるで隔たりがあるようですが、決してそうではありません。
失うときはじめてまぶしかった時を知るの…胸に残るは聖子ちゃんの甘酸っぱい歌声です。
だいぶ経ってから、心にぽっかり穴が開く人々がこの先増える事でしょう。
文芸坐、早稲田松竹、下高井戸シネマ、シネマ・ジャック&ベティ…みんな、映画愛によって奇跡の復活を遂げました。
何卒、お力をお貸しください。
吉祥寺の街の灯を消さないで。
バウスのない吉祥寺が、相変わらず「東京で住みたい町№1」の座であったとしても、本当かなあ?なんて、思ってしまいそうです。

矢澤小苗

僕がプロ(ギャラをもらう)として初めてステージに立たせてもらったのがここでした。30年近く経ってしまったけれど愛着をもっている。存続を強く希望します。

山縣玲彦

大変素晴らしい数々の映画と出会うことができました。この映画館のおかげで出会うことのできた数々の芸術作品たちのおかげで今の私はあります。そんな人がたくさんおられると思います。その方々にとっては吉祥寺とバウスシアターは同意義語であるといえます。

横田しの

バウスシアターを守れない行政に一体何が出来るのだろう。
どうか、沖縄桜坂劇場の様にかっこ良く吉祥寺らしく再生して下さい。

横堀奈美

映画だけでなくライブも観に行った(ナーヴ・カッツエなど)映画館です。公開署名活動を主催した「ホットファズ」の爆音上映もしていただきました。応援します。

わたなべりんたろう(映画・音楽ライター)

バウスシアターは吉祥寺文化の歴史を後世に継ぐための重要文化財です。存続を希望します

Akane Nakamura

吉祥寺に来た際に寄る店や場所はいくつかありますが、吉祥寺に来る理由になりうるのは自分にとってはバウスシアターだけです。
新しい建物・店がどこにでもあるようなものになるのは仕方ないにしても、歴史も文化的価値もある『そこにしかないもの』にはなくなってほしくないし、行政にはそういったものをサポートしてほしいです。

Kunikane Eiji

吉祥寺が文化発信の地であり得るのは、小さい商店やこういう映画館が存続してるからですよね、中央線でトップの魅力あるのはあるのはこういう映画館等があるから。武蔵野市育ちとして、こういう場所は存続してほしいです。

Nideo Nakaya

日本国内の映画館の大半が大型のシネコンスタイルで画一化していく中で、独自の興業スタイルとそれを楽しみにしている観客を多数擁している映画館は非常に希です。吉祥寺という街の周辺だけでなく、地域外の人々もひきつける魅力を持った場を、このまま閉鎖に追い込んでいくのは街の魅力を減じるものだと残念に思います。吉祥寺には35年以上出入りしていますが、年々駅北側地域の雰囲気が沈んでいくのを感じます。バウスシアター再生をこの打開策の一つとしてお願いしたいと思います。

Souichi Tsuji