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updated 2014-06-30

 中学生の頃、住んでいた地方都市は人口20万余、その地方の街にはいくつもの映画館があった。思い出してみるに、自宅を出て右手に1分弱には2館の映画館、一つは東宝系の映画がかかり、隣の大きなスクリーンではハリウッドもの、反対方向に3分ほど歩くと松竹系の映画館、その先2分には集団就職女子工員で賑わう日活の映画館、さらに3分先には大映系の映画館、その裏には東映時代劇の映画館、少し方向がずれて、ヨーロッパから入ってくる作品を多く上映した大人向きの映画館。そして駅裏には中高生が入れない映画館があり、一番多いときには上記に加えて2番館が3館あった。それから半世紀が経った今、これらの映画館は全て無くなった(実際には25年前に無くなっていた)。

 時の趨勢、テレビの時代となって、さらにテレビの未来も危ないという時代、仕方がないといえば仕方がないことだろう。しかし、ふと思うのは、時代の移り変わりにより媒体が変わったことで、何かを無くしているということ、あのころ、中高生だった私が感じとったものは、今のテレビ・ネットの中にはない。それは確かなこと、放送される内容(ソフト)の違いだけではない。適切な表現が見つからないが、生活の中の文化だったものが、違うモノになったというか……、文化は『情報』という単語に一括りにされて、実感のない『情報』の中に埋没し、「匂い」や「感触」が無くなった。

 『ベン・ハー』『アパートの鍵貸します』から『ゆきゆきて、神軍』、昔観た映画は多岐にわたるが、これをPCやスマホで『情報』として一人で観るのと、映画館の壊れた椅子に並んで観るのとでは文化の「味」が違う。文化は人間がつくるもの、もしかすると、このことがいつの間にか忘れられているのかもしれない。

 先日、5月末で消えるという吉祥寺バウスシアターへ行って思ったこと……。

冨川元文