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updated 2014-06-30

 世界的映画都市であるパリでも映画館の数は激減した。しかし、小さな映画館も部屋を小分けにしてスクリーンを増やしたり、上映プログラムを工夫して観客を確保し映画の多様性は守られている。私がまだ映画を撮ることができるのはこのように生き残り、シネコンにはかからない作品を上映し続ける場所があるからに他ならない。

 東京の映画館の数自体は、パリに比べて決して少ないわけではないし、シネコン趨勢の中で個性的な映画館がまだ存在している。日本と違うのは、ヨーロッパでは商業的な成功が困難である作品でも、それを上映する映画館をサポートする公的なシステムや民間の団体が存在し、これを支援していることだろう。日本では映画祭やシネクラブでの上映にとどまる中国の王兵監督の『鉄西区』という9時間を超えるドキュメンタリーが一般公開され、そこそこの成功を収めるという事態は、パリ以外の都市ではなかなか起きないであろう。

 私の『不完全なふたり』は、映画の多様性を保護するために設立された支援組織によって指定され、上映する映画館に援助がおりるとのことだった。「あなたの映画は興行的には厳しいが、見られなくてはならない」と言われ勇気づけられた。日本ではこのような多様性は、何の公的支援を受けることもなく、ただ個々の映画館の血の滲むような努力によってのみ支えられている。

 映画を見る様式や、映像コンテンツが多様化するなかで、20世紀的建築といっていい「劇場」としての映画館が消えていくことを、単にノスタルジーとして寂しがっているわけではない。映画、音楽、アート、演劇といった芸術活動の先鋭的な震源となるようなムーヴメントのない都市などに、世界の誰が関心を寄せるだろうか。

「芸術、文化による地域の活性化」や「地域貢献」といった題目がさまざまな役所の会議資料に躍り、予算化されてイベントが企画されたり、最新設備を整えた唐突なホールが地域に出現したりするが、そこそこの笑顔が行き交う当たり障りのないプログラムが時間を埋めていき、やがて忘れ去られる。そこにお祭りや慰安はあっても、文化はない。芸術や文化の震源地は、残念ながら会議室では生まれない。

 バウスシアターが、もしパリに出現したら、どれほどパリの映画環境を刺激するだろうか、と夢想する。これほどユニークな映画的場所はパリにおいても存在しない。特に爆音映画祭は、複製芸術と思われた映画が実は1回生のライブであり、上映し、それを体験することが映画を創造することであるという映画の本質を立ち上がらせ、「バウスに行かなくては体験できない映画」を存在させた。若者たちが「爆音に行った?」とささやきはじめた。映画作家たちもそこでの上映に刺激を受けた。明らかに、東京というか世界における映画シーンにおいて、バウスシアターがひとつの磁場となったのだった。もし、私たちがバウスを失うとすれば、それは一つの映画館が消えたということではなく、観客とともに時間をかけて形成されたこの映画的磁力をすべて失うことになる。それは吉祥寺という街だけではなく、世界都市としての東京や日本の文化全体における喪失だといえば大袈裟だろうか?

諏訪敦彦