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updated 2014-06-30

諏訪敦彦(映画監督)

IMG_2443.jpg 世界的映画都市であるパリでも映画館の数は激減した。しかし、小さな映画館も部屋を小分けにしてスクリーンを増やしたり、上映プログラムを工夫して観客を確保し映画の多様性は守られている。私がまだ映画を撮ることができるのは、このように生き残り、シネコンにはかからない作品を上映し続ける場所があるからに他ならない。
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筒井武文(映画監督)

20140504_055228242_iOS 1.jpg いま、『映画史特別編 選ばれた瞬間』を見て、というか爆音の凄まじさに心身とも撃たれて帰宅したところだ。もちろん映画史は戦争の記憶と切り離せないわけだから、この音響効果は正当なものである。少なくとも、この「映画史」濃縮版は、ゴダールの映像と音響が瞼を閉じようが、耳を塞ごうが、身体に直撃し、全身を内部まで震わすものとして有る。戦場と同じように。
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冨川元文(脚本家)

バウス.jpg 中学生の頃、住んでいた地方都市は人口20万余、その地方の街にはいくつもの映画館があった。思い出してみるに、自宅を出て右手に1分弱には2館の映画館、一つは東宝系の映画がかかり、隣の大きなスクリーンではハリウッドもの、反対方向に3分ほど歩くと松竹系の映画館、その先2分には集団就職女子工員で賑わう日活の映画館、さらに3分先には大映系の映画館、その裏には東映時代劇の映画館、少し方向がずれて、ヨーロッパから入ってくる作品を多く上映した大人向きの映画館。そして駅裏には中高生が入れない映画館があり、一番多いときには上記に加えて2番館が3館あった。
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松浦寿輝(作家・詩人)

20140502_114221640_iOS 1.jpg 液晶やブルーレイの技術が日進月歩で進化したために、自宅に居ながらにして映画のソフトを精密な画像で鑑賞するのは当たり前になってきました。しかし、1895年にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明して以来、映画の本質は「スクリーンへの投射」というシステムであり、それはいまも変わりません。やはり映画は映画館で、匿名の観衆に身を紛らせながら見るべきものだ、と僕は思います。
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宮代大嗣(maplecat-eve・映画ブログ管理人)

20140518_110849566_iOS.jpg 何を見たかと同じくらい、いやそれ以上に、何処で見たか、という記憶にふと感極まってしまうときがある。私にとって、それがバウスシアターだ。バウスシアターに行くときのワクワク感は遠くに住んでいたときも、近くに住むようになった現在も決して変わらない。あの高い天井を見上げて、最初に息を吸い込むときの、私と場の強い結束。どの映画館にもない、バウスシアターという空間だけにパッキングされた、あの空気。
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